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子どもはわが手で守りたい〜志賀原発差し止め訴訟原告 志田弘子さんの話

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5月の連休に、七尾のお祭り青柏祭に行きました。でかやまの名前で親しまれる国の重要無形文化財です。その合間をぬって七尾市内田鶴浜の友禅作家志田弘子さんを訪ねました。

志田さんは子供を持つ親の立場から志賀原発差し止め訴訟の原告となり、1999年8月31日、2号機差し止め訴訟第一回口頭弁論で母親の立場から意見陳述をしました。

石川県能登半島、ここに原発計画が発表されたのは1967年、1977年に国が要対策重要電源に指定、1980年に志賀町議会で建設促進を決議、漁民や住民の反対を無視して1988年1号機着工、1993年運転開始、1997年2号機着工。

1999年6月18日には制御棒3本が抜け落ちて臨界事故を起こした。しかし北陸電力は8年間事故隠しをしたのである。そのことが明らかになる前、1988年から住民は運転差し止め訴訟を起こし、2006年3月14日、一審の金沢地裁(井戸謙一裁判長)は、日本の商業原発で初めて「想定を越えた地震で原発事故が起こる可能性がある」として運転差し止めを命じた。画期的な判決だった。

2007年3月25日には能登沖地震が発生、このときは1、2号機とも運転停止中で幸い。しかし名古屋高裁は2009年3月18日、地裁判決を覆し、最高裁も2010年10月29日、これを支持、住民側の敗訴が確定した。3・11にも1、2号機はとまっていて、住民の反対により再稼働のめどは立っていない。このまま廃炉に持ちこむことを願う住民は多い。
(森まゆみ)

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